三島町

三島町

住みたい、住み続けたいふるさと(桐源郷)を創る

三島町は只見川沿いにある山々に囲まれた人口1300人ほどの小さな町。
ここは四季がはっきりと巡り、新緑や紅葉に染まる山々やホタル舞う満点の星空が美しい一方、
冬の寒さは厳しく、除雪作業は大変かもしれません。

しかし、春は山菜取り、夏から秋は畑仕事、冬はものづくりと、
この町の人々は自分たちの手で営む暮らしを楽しんでいます。

そして、そんな三島町の暮らしや人に惹かれて移住し、
様々なことにチャレンジしている多くの人がいます。

自らの手で暮らしをつくることが、今後ますます必要になってくるであろう時代、
この町は多くの可能性にあふれています。
あなたも、小さな町で豊かな暮らしを始めてみませんか?

三島町

移住のおすすめポイント

ものづくり文化や民俗文化を大切にしてきた町

暮らしに必要な道具を、身近な自然素材を使って自分たちの手で作る「ものづくり=生活工芸文化」が、三島町には色濃く残っています。縄文時代より脈々と受け継がれているものづくり文化を身近に感じられる暮らしが大きな魅力です。町では「三島町生活工芸アカデミー」を開講しており、毎年アカデミー生を募集しているほか、冬場を中心にものづくり講習会が開催されています。また、町内の各地区に残っていた様々な民俗行事は「地区プライド運動」としてこれまで受け継がれており、それも含めた地区づくりが盛んに行われています。

ものづくり文化や民俗文化を大切にしてきた町

心身を癒す大自然と人の温かさのある町

大自然、それは美しく、時に厳しいものです。そんな環境の中で生活していくためには、人々はお互いに繋がりを持って助け合う必要がありました。その精神は便利な生活となった現代でも引き継がれています。どこへ行かずとも自宅の窓から美しい景色を楽しむことができ、絶景の温泉もあります。また、家の周りの雪かたしや草刈りの作業は、体を動かすことにも住民同士のコミュニケーションにも繋がり、心身ともに癒され、人間らしい健康な生活を送ることができます。

心身を癒す大自然と人の温かさのある町

少人数ならではの子育て環境

小人数ならではのきめ細やかな教育が行われています。保育所の入所要件に該当している場合は、利用料及び給食費が無料で保育所を利用することができます。小中学校も給食費が無料です。また、共働きなどで放課後の見守りを必要とする児童は、午後6時まで町民センターで安全安心に過ごすことができます。

少人数ならではの子育て環境

ガイドブック

小さな町の豊かな暮らし

小さな町の豊かな暮らし

暮らしのデータ

人口1,380人
※令和6年1月1日「住民基本台帳人口」
地勢

『県内有数の豪雪地帯』

 三島町は福島県の西部に位置し、海抜 220 ~ 1,200m の峡谷型山村で、総面積 90.81k㎡の 86%が林野で占められています。また、尾瀬を源とする只見川が町の中心部を東西に貫流しており、冬期間は日本海側気候のため、平均 150cm の積雪となる豪雪地帯です。 町内には 18 の行政区が各所に点在しており、区長を中心として、地域資源を生かした魅力ある地区づくりに取り組んでいます。


気候冬期間は積雪が1~2メートルに達し、特別豪雪地帯に指定されている。
特産品奥会津編み組細工、会津桐製品、会津地鶏、三島町産はちみつ、山菜加工品、三島町産えごま油、純米大吟醸「会津銀山街道」、会津桐花焼酎「桐んこ」
観光名所只見線第一橋梁ビューポイント、三島町生活工芸館、道の駅「尾瀬街道みしま宿」、美坂高原、西隆寺、志津倉山、大林ふるさとの山、早戸温泉、宮下温泉
アクセス【鉄道】
〇東京方面から(約5時間)
東京駅-郡山駅(東北新幹線)→郡山駅‐会津若松駅(磐越西線)→会津若松駅‐会津宮下駅(只見線)

〇新潟方面から(約6時間)
新潟駅‐長岡駅(信越本線)→長岡駅‐小出駅(上越線)→小出駅‐会津宮下駅(只見線)

【マイカー】
〇東京方面から(約4時間)
浦和IC-郡山JCT(東北道)→郡山JCT-会津坂下IC(磐越道)→会津坂下IC‐三島町(国道252号)

〇新潟方面から(約2時間)
新潟中央IC‐会津坂下IC(磐越道)→会津坂下IC‐三島町(国道252号)

【高速バス】(約6時間)
〇東京方面から
新宿‐会津若松駅(高速バス)→会津若松駅‐会津宮下駅(只見線)
交通機関鉄道:JR只見線
バス:町営バス
教育環境保育所1か所、小学校1校、中学校1校
病院福島県立宮下病院(内科、耳鼻いんこう科、外科、皮膚科、整形外科、精神科(心身医療・もの忘れ外来)
自慢ポイント

◆縄文時代から続く町

三島町内には約5,000 年から約 2,400 年前の縄文時代の遺跡が10数か所確認されており、少なくともその頃には、人々が暮らしを営んでいたことがわかります。

◆ふるさと運動から始まった「5つの運動」

 三島町は昭和 49 年に“ふるさと運動”を展開し、自力更生型山村開 発として「地域開発は地元が主体性を持って進め、交流の中で都会の人にお金と知恵を出 して頂き、過疎化が進むこの町の地域づくりを共に推進する」という趣旨のもと、現在も特別町民として多くの方に会員になっていただき、共創のまちづくりを始めました。その後、昭和 56 年には“生活工芸運動”を展開し、縄文時代から継承されてきたもの づくりの技術を現代の生活に生かして豊かな生活を目指す取り組みを進め、平成 29 年度 からは1年間の生活工芸体験プログラム「生活工芸アカデミー」を開講し、ものづくりを 通した定住人口の増加と地域活性化の一翼を担っており、現在も続く交流人口・関係人口 の礎を築いてきました。 昭和 57 年には土づくりを第一とする有機農法と作物の自給による健康づくりを融合した“有機農業運動”“健康づくり運動”が始まり、昭和 58 年からは、各集落に継承されているサイノカミや虫送りなどの伝統行事を誇りとして守り、地域文化の保存や地域の連 帯を深める“地区プライド運動”を展開し、地域と一体となった魅力ある地域づくりに取り組んでいます。 

◆世界に誇る「会津桐」 

日本国の紋章になっている“桐”の中でも、品質が最も優れているのが会津桐とされています。三島町は古くから会津桐の産地として知られ、一家に女の子が生まれたら桐を植え、嫁入り道具として桐タンスを作り持参する文化があります。5月下旬には、町内随所 に植えられた桐には薄紫色の花が咲き、辺り一面に優雅な香りが漂います。会津桐を用いた「会津総桐箪笥 下三大洋(したさんおおよう)」は、平成 20 年に福島県ブランド認 証産品に指定され、世界に誇る品質として高く評価されています。 

◆「美しいまち」を目指して 

平成 24 年 10 月、45 町村目として「日本で最も美しい村」連合に加盟しました。「雪国の手仕事を再生した生活工芸と日本一の会津桐」「住民の暮らしに根付く民俗行事」を登録資源として、小さくても輝くオンリーワンを持つ農山村として誇りを持って自立し、将来にわたって美しい地域であり続けることを目指しています。 

移住関連イベント

奥会津三島町移住体験ツアー〔雪国のくらし〕

2025年2月14(金)~2月16日(日)

奥会津三島町移住体験ツアー〔雪国のくらし〕
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移住相談窓口

地域政策課
電話:0241-48-5533
ファックス:0241-48-5544
三島町地域政策課へメールを送信

移住者インタビュー

1杯のコーヒーから生まれるコミュケーションを

深澤諒

深澤諒

「やりたかったことをやっているという充実感、満足感。」

大橋治

大橋治

只見川の川霧に魅せられて

佐藤美智子

佐藤美智子

「ものづくりはどこでもできるけれど、ここにいると木を取り巻く環境、すべての過程に関わることができ、それがいいと思っています。」

岩渕良太

岩渕良太

「生活するための原風景がここにはあると思っています。」

橋本光五郎

橋本光五郎

「日常に見える景色がきれいで、わざわざ自然を見に行く必要がありません。
通い慣れた三島町のこの先の変化を見ていきたい、そこに自分も関わっていけたらー。」

庄司はるか

庄司はるか

「周りの方々のおかげで私たちの暮らしは成り立っていて、本当にありがたいことだと思っています。」

西茉美

西茉美

「想いとともに受け継がれている食文化があるのは大きな魅力です。」

武岡優里

武岡優里

「こんなに長くここにいられるのはこの会社(会津桐タンス株式会社)があり、ものづくりに専念できる環境があるからであり、ありがたいなと思っています。」

倉根裕之

倉根裕之

「間違いなくいいものを作っているという自信はあります。」

時任真由美

時任真由美

「『便利なもの』があるとすぐ行って、時間とお金を使ってしまいます。
でも、今はそういうものが少ないので、作業するしかない。集中できていいです。」

三井康二

三井康二

「唐突かつ単純に言えば、
私は美術教師の夢を諦め、木こりになることを決めた。
昨年の夏、20代最後の年に。」 

小荒井勇人

小荒井勇人

生活工芸憲章
一.家族や隣人が車座を組んで
二.身近な素材を用い
三.祖父の代から伝わる技術を活かし
四.生活の用から生まれるもの
五.偽りのない本当のもの
六.みんなの生活の中で使えるものを
七.山村に生きる喜びの表現として
八.真心を込めてつくり
九.それを実生活の中で活用し
十.自らの手で生活空間を構成する

三澤真也

三澤真也

「ここは『変わり者』が集まる町だと思っています。
みんな三島が好きで、面白い人たちで、一緒にいるのが楽しいです。」

鈴木敦

鈴木敦

「若い人たちのなかにも自然の中で暮したいと思う人がいることや、仲間で集り自分たちの得意なことをやろうとする動きがあったのも、すごくいいなと思ったものです。」

小栗文夫

小栗文夫

「なぜ彼ら(台湾からの旅行者)が奥会津に惹かれるのかその理由も少しずつわかってきた気がします。」

徐銓軼(じょせんい)

徐銓軼(じょせんい)

「いつしか写真撮影というよりは、地元の方々というか親戚に会いに行く感覚で通うようになっていきました。」

田上敏明

田上敏明

「空き家になっていた祖父母宅がずっと気になっており、いつか帰りたいと思っていました。」

角田信三

角田信三

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