理想の田舎暮らしができる町が、「ふるさと」に。

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塩田 由紀子(しおた ゆきこ)さんプロフィール

埼玉県さいたま市(旧大宮市)出身。関東地方の農業大学で「昆虫の機能を活用したものづくり」を研究していた際に、ゼミ活動の一環で矢吹町を訪問。1泊2日の滞在で矢吹を気に入り、大学院への推薦を辞退して矢吹町職員に。現在は産業振興課に所属し、町のPRイベントや移住関連業務を担当している。夫の実家に暮らすワーキングママ。

塩田 由紀子

もともと憧れていた田舎暮らし

「なんで都心に生まれたの?というくらい、今の暮らしが合ってるんです!」
そう笑顔で話すのは、埼玉県の大宮で生まれ育った塩田由紀子さん。矢吹町役場に勤務して6年目。現在は夫の実家に暮らし、子育てをしながら仕事を続けています。
「どうして大宮という大都会から、こんな田舎の矢吹に移住したの?」とみんなに聞かれるそうですが、「こんなにいい町ほかにないですよ!」と返すそう。屈託のない笑顔と板についた福島弁から、矢吹への愛情があふれています。

塩田さんが初めて矢吹町を訪れたのは、今から7年前の大学4年生の時でした。塩田さんの通っていた農業大学の研究室の先生と、矢吹町長が同級生だったことが縁で、震災後の矢吹町を元気にする農業イベントに参加したことがきっかけでした。

もともと田舎暮らしへの憧れがあり、それまでもフィールドワークで、田んぼが見られる全国各地の田舎町を訪れていた塩田さんですが、住みたいと思った場所は矢吹町だけだったそうです。
「見つけた!という感じでした。矢吹いいよねって、一緒に参加した友人とずっと話していて、そのことを町の人にも伝えたんです。この町だったら自分がやりたいことができそうな気がして」。
この時、塩田さんが矢吹町に滞在したのは、1泊2日。そのたった2日間で、矢吹町のどこまでも広がる田園風景や、震災以降大変な思いをしたであろうにもかかわらずそういう姿を微塵も見せない農家の方々の格好よさなどに惹かれ、大学院への推薦を蹴って、締め切り直前だった矢吹町役場職員の採用試験に応募。見事合格し、矢吹町へ移住することになりました。

車の免許なしで移住 それでも暮らせてしまう町だった

新卒で、埼玉県から矢吹町に移住した塩田さん。なんと、移住した当初は車の免許を持っていなかったといいます。
「だから、職場とスーパーと駅まで徒歩圏内で行ける場所に家を探しました。矢吹にはそういう物件が結構あって、車が無くても私生活は問題なく暮らせていたんですよ」。
とはいえ、仕事上の出張などで車の運転は必須のため、矢吹に来てから教習所に通い、免許を取得。行動範囲が広がり、今やすっかり車社会の住人に。「もう、歩いて行ける距離も車で行くようになっちゃいました」と笑う塩田さんですが、まだ1歳の息子さんが一緒なこともあり、今は車生活が正解かもしれません。
現在町役場では、地元のイベント企画や町のPR、移住促進などの業務にあたっている塩田さん。移住イベントでは、自身の移住経験を生かしたアドバイスを交え、矢吹町の魅力を存分に伝える役目も果たしています。

勤務先である、矢吹町役場で。
勤務先である、矢吹町役場で。

「電車に乗らなくていい生活」を選ぶことができる

塩田さんが田舎暮らしをしたかった理由のひとつが、都心の満員電車が辛かったことでした。埼玉から神奈川県にある大学のキャンパスまで、長時間満員電車に揺られて通学する中で、「このままでは自分がおかしくなってしまう」とまで思ったそう。
「都心で子どもを連れて電車に乗ると、大変なことのほうが多いと聞いて。でも田舎でなら、電車に乗らないという選択ができる。子育てをするなら絶対田舎がいいと思っています」と塩田さん。
また移動面以外でも、矢吹町には駅前に子どもを遊ばせられる施設や図書館があるなど、子育てにとても良い環境だと感じているそう。結婚・出産を機に町内のアパートから夫の実家に暮らすようになってからは、毎日近所の人が声をかけてくれるように。
「子どもが少ないのもあると思うのですが、近所の人が子どもを可愛がってくれて、地域で見守られながら育ってるなと感じます」。

憧れの田舎暮らしは、なんでも時間が早くてびっくり

夫の実家での暮らしは、距離の近いご近所づきあいや義父母との同居など、「あぁ、こういう暮らしに憧れていた!」という喜びのほうが大きかったそうですが、様々な活動の時間帯が早いことに対してはじめは驚いていたそうです。
例えば、近所の草刈りなどが朝5時から始まり、隣が5時ならウチは4時から、と競争のように早くなっていったり、就業後に飲みに行く時間も、始まりが17時半や18時のことが多く、飲み会が終わるのも早かったり…。
お酒が大好きな塩田さんからすると、「まだまだ夜はこれからなのに…」と思うことも多かったようですが、そのおかげで、同じくお酒好きのご主人とのお付き合いが始まったそうです。

田んぼの見えるところに暮らし続けたい

農業系の大学を選び、田舎暮らしに憧れていた塩田さんの夢は、田んぼの真ん中に家を建てること。矢吹町で一番好きな場所は、見渡す限りの田んぼが広がる「神田(かんた)」地区だと言います。
「でも主人は、田んぼの真ん中は虫が多いから嫌みたいで、じゃあせめて田んぼが見える場所にって言ってます」と笑う塩田さん。矢吹町がもうすでに、塩田さんにとっての「ふるさと」になっていました。

編集後記

「勢いで移住しちゃったんです」と何度か口にしていた塩田さん。関東から1時間半ほどという交通事情、町内では住宅・生活インフラが整っていて、街なかでもそこから離れたもっとローカルなエリアでも暮らせる矢吹町は、県外だけでなく、周辺地域に住む人たちにとっても魅力のある町です。
しかし、今ほど移住に関する情報や施策が無かった当時、移住するのにはそれなりの覚悟が必要だったのではないでしょうか。塩田さんを矢吹町に引き寄せたのは、地域の人たちや自然の魅力と、自分自身の想い。実は、決して勢いだけではないのではないかと感じました。

(掲載:2019年10月)

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