人と自然が共存する阿武隈山系に暮らした30年。
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進士 徹(しんし とおる)さんプロフィール
東京都大田区出身。大学卒業後『ねむの木学園』に就職。
1989年同僚たちと鮫川村に山村留学施設を開校。
2003年にはNPO法人『あぶくまエヌエスネット』を設立し、全国の子どもたちや、外国人の留学を受け入れ、自然の中で生活する場を提供している

村長が「会ってみたい」と返事をくれた村
首都圏から車で3時間ほどの距離にある田舎の原風景が残る集落。夜は360度の星空が頭上に広がります。東京都大田区出身の進士徹さんがこの土地に移り住んだのは30年前。大学卒業後、女優の宮城まり子さんが主宰する社会福祉施設『ねむの木学園』に勤務。仕事にやりがいを感じる一方で、家庭を持っても子育てに関わることができない多忙極まる日々に疑問を持った進士さんは、子どもを自然豊かな環境でのびのびと育てたいと思い、同じ考えを持った同僚と3家族で子どものための山村留学施設を運営しようと決意します。
進士さんたちは山村留学運営の意志を伝えるため、過疎化が進んでいる自治体に物件の紹介依頼の手紙を60通以上送りました。当時は移住希望者を受け入れる体制が整っていなかったこともあり、紹介してくれる自治体は見つかりません。「唯一、鮫川村役場から村長が会いたがっていると返事が来たんですよ」。村長との面接に臨んだ進士さんたちは、ねむの木学園での勤務実績や人柄が評価され、鮫川村から廃校になった小学校の分校跡地を貸りられることになったのです。
「開校準備はできたものの、なかなか入学希望者が集まらなくて悩みました」と進士さんは振り返ります。突破口は進士さんたちの山村留学施設が新聞で取り上げられたこと。掲載直後から問い合わせの電話がひっきりなしにかかってきたといいます。高校生も受け入れる進士さんたちの山村留学は全国から注目され、1989年4月、29人の子供たちを迎えスタートしました。

鮫川村の大自然が、子どもたちを成長させる
「家を離れて暮らす1年間の留学で子どもたちは目に見えて精神的にも成長していきます。定期的に会いに来る親御さんとの関係も良好なんです」と進士さん。山村留学の子どもたちは、村内にある小中高校に転入し、通学しながら自然の中で共同生活を送ります。近所の農家に畑を借り、週末は自分たちで野菜を育て、食べる喜びも味わいました。どうせならお米も作りたいと考え、進士さんは離農する農家から農地を譲り受け、7年後には就農した土地に自然大学を開校、2003年には社会貢献事業を継続するためにNPO法人に移行しました。グリーンツーリズムやエコツーリズムとして国や自治体も進士さんの活動に着目するようになりました。「自分では一つのことを続けてきただけですけどね」と進士さんは微笑みます。
東京のNPOとも連携し、2006年より現在に至るまで30名以上のヨーロッパやアメリカ、アジア各国の若者を受け入れてきました。東日本大震災後は、福島の子どもたちに自然の中で思いきり遊ぶ場を提供する支援活動に力を入れています。「福島の子どもたちが、この山里で外国人と交流するのが面白いでしょう」と目を輝かせる進士さんです。

まずは地域の人たちに飛び込んでほしい
「自分たちで選択したことだから、先行きが見通せないときにも何としてでもここで暮らすと覚悟していました。夏・冬・春休みの繁忙期とそれ以外の時期で、年間の収入は安定しませんが、何とかなると思えたのは、いろいろと気にかけてくれた地域のみなさんがいたからですね」と進士さん。農家ならではの風習や飲み会にも臆せず参加しました。「大草原の鹿角平(かのつのだいら)の景色に一目ぼれして迷わず移住を決めたので、住み始めてからこの土地の様々な習わしを知りましたが、人々と交流を持たないのはもったいないと思いましたね。人と人との結びつきの強さは都会とは全然違います。ぜひ地域文化をつなぐ一員になってほしいですね」と移住を考えている人に伝えたいと言います。

編集後記
厳しい冬。ふきのとうが土から頭を出す春のはじまり、夏のホタル、秋の紅葉。進士さんのニックネームを取った自然学校がある『ぽんた山』は四季折々異なる表情を見せます。「子どもたちものびのび育つことができた。今の暮らしぶりに悔いはありません。もっと暖かい場所でもよかったかなと思うこともあるけど(笑)、やっぱりここが好きですね。食卓から見える景色は贅沢だなあといつも思います」。豊かな日々が進士さんの和やかな表情からうかがえます。
(掲載:2018年4月)