外国人協力隊が伝える「奥会津暮らしのススメ」
- 地域おこし協力隊
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徐 銓軼(じょ せんい)さんプロフィール
1984年中国上海市生まれの上海市育ち。上海市の高等学校卒業後、京都へ留学、上海市にある福島県上海事務所に勤務した後、福島県の国際交流員として勤務していた。
2018年4月から奥会津振興センター所属の地域おこし協力隊として情報発信等に精力的に取り組んでいる。

“福島”と関わっていく決意
徐さんは2018年4月より「奥会津地域おこし協力隊」として三島町に赴任し、日本語と中国語を使った情報発信などに意欲的に取り組んでいます。学生時代を関西で過ごした徐さんにとって、とりわけ福島との縁が強く結ばれた背景にはこんな出来事がありました。
「最初に就職したのが上海市にある福島県上海事務所。そこでの初めての福島出張が2011年の3月10日でした。翌日、仕事を終えて、趣味の鉄道旅をしようと関西に向かう途中で地震が起こったのです」
間一髪、被災を逃れた徐さんですが、その心にはずっと「福島から逃げた」という思いが残り続けます。その後、2013年に日本大使館が募集する国際交流員に応募。赴任希望地には迷わず「福島」と書きました。
「震災後も福島を訪れ、仮設住宅で被災した方々の話を聞いたりして、被災された方々の力になりたいと思ました。自分が実際目で見たもの、本当の福島を伝えたい。それにはやはり福島に来なければと考えました」
念願の福島勤務が叶い、5年の満期まで勤め上げた徐さん。その後も福島に残ることを決め、ちょうど募集のあった「奥会津地域おこし協力隊」に応募し今に至ります。
「生涯福島と関わり続けたい」そんな強い思いが、徐さんの活動を後押ししています。

初めての田舎町での暮らし
学生時代を含め、日本で生活した期間は10年を超える徐さんですが、奥会津のような田舎町は初めて。いろいろと不便なことも多いのではと思いきや、特に苦労はないと言います。いわき市で知り合った同じ上海市出身の奥様は現在、第二子を妊娠中。最寄りの病院に小児科や産婦人科がなく、会津若松市まで出なければなりませんが、それでも車があるので問題はないとのこと。しかし、そんな徐さんを悩ませるのがカメムシ。カメムシは会津地方の山間部で秋から冬にかけて大発生するのですが、徐さんはこの虫が大の苦手だそう。「先週末も130匹はやっつけました」とすっかり辟易した顔。ただ、他にも雪道で事故に遭ったり、旧道を散策していて山で遭難したりと、こちらが驚くような出来事に遭遇していても徐さんは前向きで、「私にとっては福島での経験はすべてが印象深く面白いことばかり」と、笑い話の“ネタ”のひとつにしてしまうほどです。
「2、3年前までは日本での暮らしに慣れすぎて感動することもなくなっていましたが、奥会津への移住をきっかけに、いろいろ勉強し直しているところです。毎日が新鮮ですね」

外国人との懸け橋に
バイタリティあふれる徐さんの今後の目標は「会津のことを一番よく知る外国人になること」と言います。徐さんは個人的に鉄道だけでなく、街道や歴史、伝統文化などにも興味があるため、それを外国人旅行者にも発信していきたいと意気込んでいます。
「奥会津にはこれからどんどん焦点が当たってくると思います。そんな時に自分が第一人者として力を発揮できたらいいですね」と言い、いずれは福島県への移住や定住を選択する外国人を増やしたいとの思いも。それだけの魅力が福島にはあると強調します。
「福島に暮らしていると自然に溶け込んでいく感覚があって、落ち着きます。移住は生活を一変させる手段ですが、日本での移住は中国よりもとても気楽にできます。一度きりの人生、せっかくだからいろいろなところで生活を体験してみるのもいいと思いますよ」

1日の過ごし方
1日の時間をこんな風に



左:徐さんの1日(移住前・前職)、右:徐さんの1日(移住後・現職)
徐さんの中国での暮らしと現在の暮らしの1日の時間の使い方の変化としては、起床時間と就寝時間が早まったことですね。現在、奥様が第二子を妊娠中ということもあり、帰宅後は専ら家事に勤しむそうです。また起床後は必ず散歩に出掛けリフレッシュするとのことでした。中国在住の時は通勤時間に片道約1時間かかっていましたが、現在は片道30分も掛からないようです。
中国での暮らしとは異なり、奥会津での暮らしは時間という概念を忘れさせてくれるとのこと。日々の暮らしが新鮮だそうです。
編集後記
ポジティブで勉強熱心、とにかく福島が好きという気持ちが言葉の端々から感じられた徐さん。ユニークな人柄は協力隊の同期などからも愛されています。奥会津は近年、台湾からの観光客が増加している背景もあり、徐さんの活躍は今後一層大きな意味を持つものになると確信しました。
(掲載:2018年12月)