師匠と炭焼きの魅力に惹かれて。
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関 孝男(せき たかお)さんプロフィール
埼玉県出身。大学卒業後、介護の仕事を経て、埼玉県で小学校の教員になる。
退職後旅行で訪れた川内村に移住を決意。川内村の交流施設いわなの郷で働きながら、伝統産業である炭焼きの復活を目指す。毎月移住者と地元住民の交流の場である『cafe學校』を開催し、移住者と地域のコミュニティの構築を図っている。

変われる場所を求めて
関さんは大学卒業後小学校教員になりましたが、退職後、いくつかの職業を経験しても、手ごたえを感じることができなかったと言います。そんな時、旅行で偶然出会ったのが川内村でした。関さんは2013年から福島県に住み、郡山市にあった川内村の仮設店舗で働きます。「何かをきっかけにして変わりたいと思い続けていましたね」と関さん。「川内村で仕事をしてみないか?」と声をかけられ、直感で移住を決意しました。
川内村に移り住んだのは2014年6月。福島第一原発事故の避難指示解除後(避難指示解除準備区域が全面解除になったのは2016年6月)、村民の生活再建に向けて様々な復興政策が実施されていました。関さんには混乱の中にあったように見えたと言います。「川内村で力になりたいと働く意志を持ちながらも、志半ばで立ち去る人たちも多くいました」。関さんは「自分たちは必要とされていないかもしれない……。でもとりあえず村に3年いて、何かにチャレンジしよう」と覚悟を決めます。

日本一の炭焼きの村を復活させる
関さんは村の交流施設『いわなの郷』で働きながら、目標を探していました。そんなとき、川内村がかつて日本一の生産量を誇る『木炭王国』だったことを知ります。日本が燃料に困窮していた終戦直後、木炭は重宝され、川内村の各戸には炭焼き小屋がありました。関さんは「日本一の炭焼きの村を取り戻そう」と考えました。 しかし、東日本大震災後、村で炭焼きをしている人は誰一人いませんでした。関さんは人づてに、炭焼きをしていた人に出会い、教えを請います。「師匠は炭焼きだけではなく、山菜採りやキノコ栽培、山の歩き方まで教えてくれました。80歳を過ぎた師匠の暮らしには蓄積された村の知恵がたくさん詰まっていたんです。そこまで教えてくれるなら、必ず炭焼きを復活させようと心から思いました」。
炭窯作りに挑戦する過程で、多くの人に助けられ、地域の人たちとの交流が生まれていきます。

移住者の交流を通じて村の魅力を発掘する
村の炭焼きの復活に向けて奔走する関さんですが、最近他にも力を入れていることがあります。それは『移住者のコミュニティづくり』です。「自分自身も外から村に移住し、炭焼きや師匠との魅力的な出会いがあったからこの村に残りました。移住者がそういう村の魅力と出会わずに村を去る姿を見て悔しかった。とはいえ移住者自身だけで村の魅力を見つけるのはなかなか難しい。だから移住者が交流する場が必要だと思っています」と話す関さん。現在は村内にあるCafé Amazon(カフェ アメィゾン)で移住者の交流会『Cafe學校』を毎月開催しています。ここには村内の小学校で働く外国人や村外に住む方の参加者等も増え、Cafe學校は移住者の枠を越えた地域のコミュニティとなっています。
移住希望者へのアドバイスを求めると、関さんはこう答えてくれました。「移住はチャレンジの連続。チャレンジは100のうち、99失敗するもの。だからへこたれない人に来て欲しい。川内はこれから変わっていくと思いますし、色んな可能性に溢れています。私は自分を変えたくて川内村に来ました。人生でいろいろなことに挑戦したい方はぜひ川内村に来てほしいですね。ちょっと不便な山間の村ですが、だからこそ自然が身近で遊びの場になります。視点を変えればそこには都会の人を惹きつける良さがあるんです」。


編集後記
関さんが住む川内村は、県の東側浜通りの阿武隈高地に位置する、豊かな自然に囲まれた地域。村をたびたび訪れていた詩人、草野心平を記念して1966年に建てられた天山文庫には村の人々と文化人との交流の軌跡が見られます。東日本大震災後にも村を拠点としたさまざまな交流が生まれています。「これから川内村に来る人たちのためにもっと、もっとここを面白い場所にしたい」と関さんは話します。
(掲載:2018年4月)