奥会津の魅力をもっと知ってほしい。
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藤田 旭美(ふじた あきみ)さんプロフィール
埼玉県出身。宇都宮大学森林科学科を卒業後、尾瀬沼ビジターセンターに勤務。その後埼玉県内のNPO法人で植物の育成管理などに携わる。
2015年、33歳のときに地域おこし協力隊員として三島町に移住。
2017年4月からは、三島町役場で桐専門員として町内の桐の生育状況の管理や苗の育成に力を注いでいる。

ずっとここで暮らしたいと声に出しました
藤田旭美さんが三島町に移住したのは2015年6月。全国規模の移住相談会『移住・交流&地域おこしフェア』を訪ねたことがきっかけでした。
「激務の日々に体調も崩しがちだったことから、転職を考え、この機に山の近くで暮らしたいと考えていました。たくさんのブースの中で奥会津のブースの担当者と話しているうちに、移住をするならここしかないと思ったんです。それなりの覚悟が必要なのでギリギリまで悩みましたが、やっぱり行こうと思い立ったんです。うまく言えないのですが、奥会津に呼ばれたのかもしれません(笑)」。
藤田さんが三島町で暮らす不安を解消してくれたのは、三島町の中心部にある観光交流舘『からんころん』でした。「来たばかりの私に、暮らし方を教えてくれたり、野菜をくれたり、近所のおじいちゃんと仲良くなることが できる場所でした」と微笑みます。
奥会津振興センターの一員として藤田さんは、イベントや講座運営を担当。奥会津7町村(柳津町・三島町・金山町・昭和村・只見町・南会津町・桧枝岐村)の地元の人がとっておきの場所を紹介する冊子、『奥会津の歩き方』の制作を手掛けます。観光ガイドブックには載っていない内容に好評を得ながらも、2017年4月、藤田さんは仕事で培ってきた植物調査のキャリアを生かし、三島町役場の桐専門員に転職。桐の個体管理や、苗の育成を担当しています。
「親しくなると、いろいろと教えてくれるのが会津の方たち。奥会津に定住したかったので、親しくなった方々に『ここにずっと住みたいので仕事を探しています』と自分から伝える努力をしました」。

幸せになるために移住したのだから
藤田さんは、転職と同時に一軒家で暮らすようになりました。藤田さんの地区では、草刈りや『サイノカミ』(※)などの行事に隣組単位で取り組みます。積極的に参加することで、藤田さんも住民の方達と知り合いになることができたと言います。
「みなさん、本当に優しくて、ちゃんと食べてる?と心配してくれて、野菜を玄関前に置いておいてくれることも。野菜がおいしくて、料理する機会も増えましたし、暑さ、寒さに慣れるうちに、身体も健康になりました」。
厳しい冬の寒さにも「台所がマイナス5度になっていて、急須の蓋が凍って取れなくなったり、水道管が凍ってしまったり、もう、面白くて笑っちゃいました」と、ポジティブに捉える藤田さん。
「自分が幸せになるために、自分が決めてここに来たのだから、辛いことがあっても人のせいにしたくない。みんなで支え合って、楽しく生きられたらいいなと思うんです」と、温かくしっかりとした信念が伝わります。
※五穀豊穣や無病息災、厄落としなどを祈願して行われる小正月の火祭り。『三島のサイノカミ』は、国指定重要無形民俗文化財に登録されている。

藤田さんが三島町で特に気に入っているのは、町内にあるカフェ。「お茶も料理もおいしくて、女性オーナーもみんな素敵なんです。埼玉で働いていた頃は、カフェは一人になるために行くところでしたが、ここに来てからは、人に会いたくて行く場所になりました」と微笑みます。
藤田さんの当面の目標は、伝統的な育成方法と新しい管理法をまとめた桐の育成マニュアルを完成させること。
「桐専門員の活動を理解してもらうために、報告会を企画しました。移住してからは、伝えることも、とても必要なんだと実感しています」。
藤田さんは大好きな奥会津のためにもっと役立ちたいと言います。
「三島町は降雪量や寒暖差、只見川など日本一の桐が育つ自然条件が揃っているすごい地域。もっと三島町の桐のことをいろいろな人に知ってほしいですね」。


編集後記
奥会津・三島町は、磐越自動車道『会津坂下インターチェンジ』から30分の距離。町内を走るJR只見線は『秘境を走る鉄道』として、海外にも注目され、外国人観光客が数多く訪れています。三島町を流れる只見川の川霧も絶景。降雪量は多いですが、国道は除雪がされ、町の中心地は融雪の設備が整っています。藤田さんが移住時に採用された地域おこし協力隊は、東京都内でフェアが毎年行われ、自治体によっては採用面接も都内で行われています。
詳しく知りたい方は『ふくしまで働く-地域の担い手-』のサイトをご覧ください。
(掲載:2018年4月)