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空き家を改修して、古民家暮らしをスタート。地域の医療に貢献したい。

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星野勝弥さんプロフィール

東京都中央区出身。都内の高校で教員として勤めたのち、医療の道を志し、看護師と保健師の資格習得後、都内の病院に勤務。2017年に飯館村の空き家を購入して移住。2020年に訪問看護事業を立ち上げました。

星野勝弥

高原の豊かな自然に恵まれた美しい村

福島県相馬郡飯館村は、「浜通り」と呼ばれる太平洋沿岸エリアの北部に位置します。阿武隈山系の豊かな自然に恵まれ、村の総面積の約75%が山林。北には真野川、中央に新田川と飯樋川、南部には比曽川が流れ、その流域の山あいに集落と耕地が広がる、美しい村です。

標高500mほどの高地にあり、年平均気温は約10度、年間降水量1300mm前後と、高原ならではの冷涼な気候が特徴です。夏には「やませ」(東北地方の太平洋側で、春から夏にかけて吹く、冷たく湿った東よりの風)の影響でたびたび冷害に見舞われるため、寒さに強い畜産業にも注力。黒毛和牛「飯舘牛」のブランド化にも成功しました。そのほか、高原野菜、トルコギキョウを始めとする花き、凍み餅、凍み大根、どぶろくなどが特産品となっています。

広い一軒家で自然と向き合う暮らし

今回取材した星野勝弥さんが飯館村に移住したきっかけは、東日本大震災の時に発生した福島第一原子力発電所の事故でした。「福島の原発で発電した電気を使って東京で暮らしてきた人間として、『何かをしなくては』という気持ちが湧き上がってきたんです」。当時、星野さんは都内の病院に勤務し、精神障がい者向けの訪問看護の仕事をしていました。全村避難を強いられた飯舘村の避難指示が解除された2017年、これまで培ってきたキャリアを活かし、「地域医療の分野で村に貢献しよう」と移住を決意。移住後は、「飯舘村地域包括支援センター」で保健師として約2年勤務していました。

 

移住の1年近く前に、インターネットで売りに出ていたのを見つけたのが、現在の住まいでもある築約30年の木造住宅でした。「前の所有者が住まなくなって6年くらい経っていて、家の内も外もボロボロ。とりあえず屋根の雨漏りを直して、震災で破損した浴槽を交換して、ベランダも修理して畳も全部新しくして。大がかりな補修は業者さんに依頼しましたが、自分でできるところはコツコツと内装や建具などを整えて、住める状態にしました」。

星野さんのご自宅兼事務所
星野さんのご自宅兼事務所

星野さんの場合、古民家暮らしをスタートさせるまでに、床面積約75坪の木造住宅の購入費が約500万円と修復費に約300万円弱掛かりましたが、福島県が行う『来てふくしま住宅取得支援事業』と『空き家・ふるさと復興支援事業(令和3年度から「住んでふくしま」空き家対策総合支援事業に名称変更)』の二つの補助金を活用したそうです。「おかげで金銭的な負担がかなり軽減しました」と星野さん。

「ただ、古い家ですから断熱材も入っていないし、隙間風はビュービュー入ってくる。最初の冬はやっぱり厳しかったですね」。もともと登山やスキーが趣味だという星野さんは、そうした自然の厳しさをよく知っていました。近隣に住む地元住民の助けも借りながら、次第に寒さをしのぐ術を身につけていきました

「自然と向き合う暮らしをしていると、『今、自分は生きている』という実感が湧いてくるんです。その充足感は、やはり東京では味わえません」。朝は鳥の鳴き声や林を通り抜ける風の音に包まれて目覚め、日が落ちればあっという間に真っ暗に。晴れた日には星が美しくまたたく空も眺められます。「私も今年で69歳になりました。この年になってこんなに自然に恵まれた土地で暮らせるなんて思ってもみませんでした。生き方としては面白いんじゃないかな」。

現在、星野さんの奥さまは東京で暮らしていて、月に10日ほど飯舘村にやって来るのだそう。その時以外は、星野さんはひとりで生活を営んでいます。「家を一軒、自由に使えるというのはいいですね。こんなに大きな家を安く手に入れられたことが、結果的に訪問看護事業の開業にもつながりました。今の家と出会えたことも、移住してよかったことのひとつです」。

改修後の家には、東京から大量に持ち込んだ蔵書や、趣味のアウトドア用品、楽器類もそれぞれ居場所を得られました。「あのまま東京に住んでいたら、置き場がなくて捨てていたかも…」。補修は最低限。自分ひとりが住めればそれでいい。そんな気ままな暮らし方ができるのも、持ち家を得たからこそといえそうです。

医療を通じて村に貢献したい

「住んでみて、飯館村は実に興味深いところだなと改めて感じました」。

星野さんの住む「飯樋」を大字とする地域には4つの自治会組織があり、合同で地域づくりを進めています。地元の神社のお祭りでは、この地域に数多く残る「田植え踊り」や「手踊り」「宝財踊」「神楽」などの伝承芸能が披露され、盆踊りも合同開催。住民が一体となって地域を盛り上げようと取り組んでいます。

「地域のみなさんは本当にオープンマインド。よそから来た私もお祭りの実行委員会に誘ってくれたりもしました。おかげで、おおらかで、土地に根差した深みのある方々とたくさん知り合うことができました」。

原発事故で避難を強いられた住民が戻り、飯館村はまた少しずつ新たな息吹が芽生えようとしています。「飯舘村に戻ってくる人は、みんなこの村に思い入れがある。自分たちがこの村をつくってきたのだという思いの強さを感じます。そんな気骨ある人たちに"一緒にやっていこうよ"と迎え入れてもらえた。『ここに移住してきて本当によかった』と思います」。

2020年、星野さんは家の敷地内にあった蔵を改修して、「あがべご訪問看護ステーション」を設立しました。「あがべご」という事業名称は、「見返りを期待しない愛」を意味するギリシャ語の「アガペー」と会津地方の郷土玩具「赤べこ」に由来しています。

「帰還してきた住民の中には在宅治療などのケアを必要とする方々がたくさんいる。そうした方々のために訪問看護を行い、村に貢献したい」。星野さんはそう考えています。

ここ2年は訪問看護事業に追われ、1日も休んでいないという星野さん。「もう東京には"戻る"のではなく、"行く"という感覚ですね。ここ飯館村が私の居場所です」。

編集後記

星野さんのご両親はキリスト教の牧師さんで、星野さん自身も「生きづらい状況の人の隣人になって、ともに生きる」というアガペー的な生き方を、幼い頃から学んで育ったそうです。星野さんは、「いずれ、家の続き間に楽器をセットして、村のみなさんが自由に出入りできる交流の場をつくりたい」と語ります。「村人の一人として、村人の役に立ちたい」と移住した星野さんを、飯舘村の美しい自然が包んでいました。


■来てふくしま住宅取得支援事業
福島県に移住するための住宅取得に要した経費の2分の1を補助しています。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/41065b/kitefukushima.html

■「住んでふくしま」空き家対策総合支援事業
県内に定住するための空き家改修等に、補助金最大250万円を交付しています。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/41065b/sundefukushima.html

■飯館村移住・定住ポータルサイト
https://www.vill.iitate.fukushima.jp/site/iju/

(掲載:2022年10月)

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